otopa記

真実を探し求めて

聖書通読の道のり②

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聖書を読むことが習慣になってから、私の中で変わったことがあります。

 

 

 

テレビや映画、書籍などをほとんど見なくなりました。

 

というよりも、見ても何も得られず、矛盾と悪意が感じられて、頭が痛くなりさえします。

 

それに費やす時間が貴重に思えて、もったいなく感じます。

 

 

 

 

聖書ほどに清く魅力あるものが、他になくなりました。

 

 

 

 

 

読み始めてから2年足らず、この春でやっと、通読3周目に入ることができました。

 

聖書通読の道のり①にも書いた通り、通読の回数を重ねるごとに、理解度が段違いに高まってきました。

 

前回とは全く違う景色がそこには広がっていて、内容が頭の中にスムーズに入ってきます。

 

 

 

 

一回目はモノクロだった風景が、二回目でセピア色になり、三回目ではカラーになりというように、より鮮明に聖書の世界の場面が鮮やかに浮かびます。

 

 

 

 

 

また、信仰生活(祈り、讃美、聖書と御言葉の学び、伝道)を自分自身が行っていることでも理解度が増します。

 

何よりも、ラプトさんのブログで聖書の解釈や引用、難解な箇所の解き明かしをしてくださるので、驚くほどにその場面の鮮やかさにとどまらず解像度までが、格段に増していくのです。

 

 

 

これは、キリスト教の歴史上で見ても、人類の歴史上で見ても快挙であるどころか奇跡です。

 

朝の祈り会の録音では、一般のキリスト教の教会のつまらない教理がちっぽけに見えるほどの、驚くべき真理が毎日展開しています。

 

 

 

 

 

聖書は旧約聖書新約聖書とありますが、ラプトブログの御言葉は成約聖書です。

 

 

 

聖書を読めば、ラプトブログが、神様の真理を表していることがわかります。

 

またラプトブログを読めば、聖書がどんなに素晴らしいかを理解できます。

 

 

 

神様の約束が今まさに、成される時代に入って行こうとしています。

 

どうかご自分の目で見て、聞いて確かめてください。

 

 

 

 

 

初めて聖書を手に取り、読み始めた頃は、書いてあることを遠い国の夢物語のように読んでしまいがちです。

 

でも理解度が上がってくると、それが真実であり、生きた神様の言葉であり、神様と人類の愛の歴史、神様と悪魔の壮絶な戦いの歴史の書であることがわかります。

 

 

 

 

私たちがつまずく時には、手をのべてくださり、悲しむ時には、温かい言葉をくださいます。

 

神様は今も昔も、大きな深い愛で私たちを育んでくださっています。

 

そのラブレターが聖書であり、ラプトさんのブログの御言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

神様の愛の御言葉を読む機会を、与えられたことに心から感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神様どうか、この大きな幸せを、たくさんの方々と分かち合えますように。