otopa記

真実を探し求めて

戒めはともし火

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私は毎日、ラプトさんの御言葉に従って、明け方や昼間に、神様に様々なことをお祈りしています。

 

毎日祈る時間を作り、神様の前に出て愛と感謝の気持ちや悔い改め、大きな願いから細かな願いなどをお伝えし、対話しています。

 

 

 

 

毎日時間をやりくりして、お祈りに備えますが、特に明け方は、祈りにくい日が、時々あります。

 

祈りにくくなってしまう理由は、体の不調など、いくつかありますが、一番情けないのは、眠気で祈れなくなることです。

 

お祈りを中心に、神様を中心に日々を生きられていない証拠です。

 

神様が私たちを迎えてくださる大切な時間に、眠くなり、ところどころ意識が飛ぶ。

 

絶対にしてはならない失態です。

 

酷い時には、その日の明け方は断念したこともありました。

 

 

 

 

 

 

そのような失態が、いかに危険な行いか、信仰の破綻へとつながるのかを、神様のみことばで私たちに教えてくださいました。

 

◯ RAPT | RAPT有料記事245(2018年1月27日)VOL.245 完全を目指して走る者の祈りが強力に叶えられる。

 

ここのところ、私たちにとっても、とても厳しいみ言葉が宣布されています。

 

 

 

ぬるい信仰は要らないのです。

神様は熱い愛のみを待ち望んでくださっていました。

しかし、もう待てないとおっしゃっています。

 

伝道して多くの命を救うという結果も出していかなければなりません。

 

 

 

 

私は自分の罪をとにかくもっと探し、悔い改め、もがいています。

私の聖書通読は今、2回目新約ヨハネ福音書の箇所を読んでいます。

 

エス様が高慢な人々や無知な民に受け入れてもらえない様子が、とても辛いのと同時に、悟れない自分の高慢さや無知と重なります。

 

そしてラプトさんがどのような思いで、私たちを導こうとしてくださっているのかも、聖書を読むことで鮮明に理解できます。

 

 

このままの信仰では、足りていません。

 

み言葉をつまみ食いし、耳の痛いところは聞き流す。

 

耳の痛い戒めこそ、向き合わなければならない罪のあるところでした。

 

 

 

 

神様に置いて行かれないように、すがり付いています。

 

私たちの体を、神様の体として使っていただくか、サタンの体として使われるかは、

とにかく明け方の祈りにかかっています。

 

 

 

 

 

 

 

祈りが深く入らない時には、その日1日がとても辛いので、祈る代わりに昼間は賛美します。

 

特に私の場合、賛美できると必ず立ち直り、聖霊を受けられるので、また祈ることに戻れます。

 

 

 明け方は、音の問題で歌うことは難しいので、聖書や御言葉を読んだり、ブログの下書きをするようにしています。

 

ある日の明け方は、強烈な脚のだるさと、眠気に負けそうでした。

 

場所を変えて祈れる場合もあります。

 

外気を吸って立て直すのも効果的だそうです。

 

 

 

 

 以前私は、睡眠時間を無理に削っていましたが、いろいろ試した結果、明け方のお祈りの前か後に、やはり1日に合計6時間はきちんと睡眠を確保することが必要だとわかりました。

 

頭のすっきりした状態を保ちながら、毎日罪や、考えのズレをしっかり点検しなければならないと思いました。

 

 

なんとかキッチリとしたリズムを作り、明け方を守るために、深く祈るために様々な方法をもっと探って行き確立したいです。

 

 

 

 

 

そして、結果を求めてくださっている神様の願いを、叶える者になりたいです。 

 

 

 

 

 

 

 

神様、どうか私たちが、あなたのために熱く祈り、走れますように。