otopa記

真実を探し求めて

聖書通読の道のり⑤

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 私の姉が、久しぶりに聖書についての質問をしてきました。

 

「難しいな。」

「どうして神様は、聖書をもっとわかりやすく作ってくれなかったのかな?」

 

 

そうです、聖書を理解するのはとても難しいです。

正直、誰しも読み始めた頃は、解らないことだらけだと思います。

文章を読むには読めても、深い意味を悟れず挫折しそうになります。

 

恥ずかしながら、今でも難しいと思う箇所が多々あります。

 

 

 

 

1. 聖書が読みにくい理由と対処法

 

では、どうして読みにくいのか。

 なぜなら、聖書には幾重にも封印がされているからだそうです。

ちょこっと読むだけで、誰でもかれでも理解できないように鍵をかけてあるのです。

 

とても貴重なので「真実と天の奥義は隠されている。」のだということです。

 

これは、ちょっとワクワクしませんか。

 

神様は、「読み手が、神様を知りたいと本気で願うようになるまでは、悟れないようにしていらっしゃる。」のだと、つくづく思います。

愛をもって、神様を知ろうとしなければ、まずここで最初の関門、サヨナラポイントです。

 

しかし私たちが、本気で読むなら、読むたびごとに新しい悟りをくださいます。

一生読み返し続けても、飽き足りることのない最上の愛と知恵の宝庫です。

 

 

 

また、日々の罪を悔い改めて、清い心の状態を保つことも、内容を理解する上で重要です。

罪の中にある時には、素直な心の状態ではないので、どこかに疑いの気持ちが出てしまいます。

 

 

他にも初めのうちは、聴き慣れない言葉や、様々な比喩表現などに苦戦します。

戦いの場面などは、自分には無関係に思えてしまって、さらに停滞しました。

 

けれど、聖書を読み始める前にラプトブログを読んでいたので、「それでも頑張って読めるか、それでも神様を信じられるか。」を問われ、神様に試されているのだと理解し、踏ん張り読み進めることができました。

 

このような「神様の最初のテスト」を突破しなければ、お話にならないのだと信じて、必死で読みました。

読み進められるように、理解できますようにと神様に祈りながら。

 

すると、回数を重ねるごとに、例えば戦いの場面なども自分たちのことのように、共感して読めるようになりました。

 

その頃、私もTwitter上などで真実の情報拡散をするようになりました。

全てが手探りで、未知の世界でした。

このような公の場で、真実を拡散するという「義」を行うことは、戦いです。

工作員から妨害コメントを書かれたり、Twitter社には不自然にフォロワーや、インプレッションを減らされたりもしています。

 

それでも、RAPTさんをはじめ、KAWATAさん、NANAさん、兄弟姉妹たちは神様に導かれ、Twitterや動画などで、真実を拡散し工作員を論破し、勝利してこられました。

 

 

その勇姿を目の当たりにして、神様に護られ導かれて戦うことの意義や素晴らしさを知りました。また、一人ではないことの喜びも実感して、力をいただき、私ももがいています。

 

そして今も、神様は具体的にどのように義を行うべきかを、毎日ラプトさんが受けてくださる御言葉によって手厚く私たちを導いてくださっています。

 

 

 

このように、聖書の通読と他の義の条件とが、相乗効果を生み出し理解力を深め、行動力を高めます。

 

 

 

 

けれど回数を重ねていても、前回までに深く理解できず、読んでいたなと思う箇所に出くわします。

 

そんな時は、ラプトブログでキーワードを入れて検索するのですが、

とにかく、聖書と並行してラプトブログを、浴びるように読み返したり聴き返したりすることをオススメします。

その上で聖書を読むと、驚くほどに深い意味までもが、頭に入ってきます。

 

そこには、世の中に出回っている解説本では得られない、宝石のような貴重な答えがたくさん埋まっているからです。

決して大げさな表現ではなく、実際に神様のお考えへの理解が深まって来ると、心から感動し涙があふれます。

 

 

 

 

2. 神様を愛すればこその感動

 

ではなぜ、他では得られないほどの次元で、ラプトさんは解りやすくご説明くださるのか。

それは、ラプトさんが神様を誰よりも愛し、突出したレベルの条件を立てて、次々と封印を解いてくださっているからです。

 

数千年の時を経ても解かれなかった封印をです。

 

つまりそれこそが、真の中心者である証でもあります。

 

神様は条件無しには、御言葉や祝福を与えることはありません。

ラプトさんが神様の前に、今もこれまでも、膨大な条件を立ててくださるからこそ、私たちはその恩恵をラプトブログを通して受けています。

 

その愛と偉業を思うとき、感動せずにはいられません。

 

○この時代に神様の遣わす中心人物は、聖書の封印をすべて解く人だ。

http://rapt-neo.com/?p=43013

 

 

御言葉は、自分が神様への感謝の気持ちが溢れている時や、恵みを受けて感動している時などは、特にスルスルと頭に入ってきて理解できますし、さらに深い感謝と感動を呼びます。

 

その逆に、自分の目の前の雑多なことに翻弄されているときには、集中力も落ちてしまい、一生懸命に読んでいても聴いていても御言葉は流れて行ってしまいます。

 

読み聴きする側の私たちの条件も揃って、やっと深い感動や悟りが得られます。

 

神様からの愛はもちろん、ラプトさんの神様への愛と私たち読者への愛、

それに私たち読者の神様への愛とラプトさんへの愛。

 

これらの愛があるからこそ、貴重な御言葉が宣布されて、聖書を深く読み解けるのですね。

 

 

 

聖書はそれぞれの時代ごとに、書かれた内容や書いた人物は様々です。

 けれど、この世界的ベストセラーを書くよう許諾しプロデュースされたのは、他でもない神様です。

その大きな愛が詰まっているのですから、理解できたなら感動しないはずはありません。

読めば読むほど、神様がどのようなお考えで、どのような心情をお持ちなのかを、もっともっと知りたくなります。

 

悟って感動するためには、日々の他の愛ある義の条件の積み重ねも重要ということです。

 

明方を中心に深く祈り、賛美歌を歌う。

ラプトさんや、兄弟姉妹のためにも祈ること。

真実の情報拡散。

 

救われた経緯をブログに書いて神様の素晴らしさを伝える働き。

個性や才能を磨くこと。

 

 

この基本的な義の条件を、愛を持ってコツコツと行ってこそ、聖書を通して神様のお考えや、心情理解し、ラプトさんのように賢くなるチャンスを与えていただけるのですね。

 

○神様と同じ頭脳になるということは、神様と同じ知識量を持つということではなく、神様と同じように物事を分析し、判断し、対処し、行動するようになるということだ。

http://rapt-neo.com/?p=48606

 

 

 

 

3.聖書は通読し続けるためにあるもの

 

学校の聖書の授業でも、新約と旧約を全て通読しなさいとは一切言われませんでした。

しかし、どんな物語でも、国語のテストの問題文のように、一部分だけを切り取って読んでも面白くもないし、感動もしません。

 

ではなぜ、世の中では通読を進められないのでしょうか。

ラプトさんによると、既存の教会は、聖書の真理を悟れないように工作されてしまっているからだそうです。

信仰を浅くさせて、真の救いから遠ざけるためなのです。

 

キリスト教悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。

http://rapt-neo.com/?p=9309

 

 

それでも、神様は旧約聖書新約聖書の両方を、世界中の人類が誰でも読めるようにと、様々な方法で私たちに与えてくださっています。

今は通販で購入できますし、電子書籍kindle、また無料アプリでも簡単に手に入れられるようにしてくださっています。

 

さらには、私たちそれぞれが、最上のタイミングでラプト理論、御言葉と出会っているはずです。

これは、偶然ではありません。

 

 

神様は私たちを導き育てる為に、すべてを緻密に計画し用意してくださっていたのだそうです。

 

ならば私たちは、聖書と御言葉という最高の教科書を、喜んで受け取り、一生かけて学び続けるべきなのではないでしょうか。

 

 

 

真実は理路整然としていて、とてもシンプルです。

神様は、これまでに味わったことのない喜びと、感動を用意して、私たち一人ひとりを、待っていてくださいました。

 

今こそ、清い愛と真実を手にしてください。

神様は、私たちが本当に清い者となって、求め続けるなら、限り無い愛を与え続けてくださいます。

 

私たちは、この愛を知らずに生きていたから、誰しも苦しかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

本物の愛は、私たちのすぐそばにあります。

 

しかし、それは私たちが強く求めて行ってこそ、もらえる至高の愛なのですね。

 

 

 

http://rapt-neo.com