otopa記

真実を探し求めて

悪人をも救うとき

 

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聖書の中で、神様は悪人に向けても、救いの御言葉を投げかけてくださっています。

 

 

 

「どんな悪人でも、悔い改めて神様の道に立ち帰るなら許してくださる。」という旨の内容が書かれてあります。

 

また、逆に「どんなに義を行っている義人でも、堕落すれば裁かれる。」という内容も同時に書かれています。

 

 

青字=悪人について

緑字=義人について

 

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エゼキエル書

 

33章11節
あなた(エゼキエル)は彼らに言え、主なる神は言われる、わたし(神様)は生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがた(悪人たち)は心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。

 

 

33章12節
人の子よ、あなたの民の人々に言え、義人の義は、彼が罪を犯す時には、彼を救わない。悪人の悪は、彼がその悪を離れる時、その悪のために倒れることはない。義人は彼が罪を犯す時、その義のために生きることはできない。

 

 

33章13節
わたしが義人に、彼は必ず生きると言っても、もし彼が自分の義をたのんで、罪を犯すなら、彼のすべての義は覚えられない。彼はみずから犯した罪のために死ぬ。

 

 

 

 

33章14節~16節


また、わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼がその罪を離れ、公道と正義とを行うならば、


すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。


彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。彼は公道と正義とを行ったのであるから、必ず生きる。

 

 

 

 

33章17節~20節


あなたの民の人々は『主の道は公平でない』と言う。しかし彼らの道こそ公平でないのである。


義人がその義を離れて、罪を犯すならば、彼はこれがために死ぬ。


悪人がその悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼はこれによって生きる。


それであるのに、あなたがたは『主の道は公平でない』と言う。イスラエルの家よ、わたしは各自のおこないにしたがって、あなたがたをさばく。

 

 

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新約時代のパウロも元々は、キリスト教徒を迫害し、殺しさえした悪人でした。

 

しかし、パウロは神様からの啓示によって立ち還り、「心をひるがえし悪しき道を離れた」ので、祝福され中心者として大きな使命を受け、伝道によって多くの人々の命を救いました。

 

また、その反対にソロモン王は中心者として義を行って生きて、大きな祝福を受けたにもかかわらず、晩年は堕落して悪魔崇拝をし、裁かれてしまいました。

 

 

 

 

 

現代に生きる私たちもまた、同じ神様に同じように、必ず「各自の行いによって裁かれる」ことになります。

 

今罪の中にあり、信仰を持っていない人でも心から悔い改め義を行って、清く生きていくなら、神様は喜んで義人として迎え入れてくださいます。

 

工作活動を行って、キリスト教を破壊してきた人でさえも、きっと救ってくださる神様です。

 

今訪れようとしている裁きの時に、まだ間に合うかもしれません。

 

 

 

 

私たち義人もまた、成長出来なければ堕落するに等しいと言われています。

 

毎日悔い改めて、信仰の4本の柱をしっかり守って行き、その質や内容も次元を上げていかなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

神様、どうか多くの人々が、あなたの大きな愛に導かれ、命を救っていただけますように。