otopa記

真実を探し求めて

【本当のシナイ山はアラビアにある】隠された聖書の証4 

 

アラビアにあるシナイ山(炎が上がった後が黒く残る)

 

聖書の遺産はことごとく隠されてきました。

 

神様は御言葉を通して、本当の神様の存在、信仰、聖書の真理などを、私たちに示してくださり、神様と生きるか否かの選択を迫られています。

 

サタンのもたらした世界は、神様を隠し人類が救われないようにするために、ありとあらゆる嘘とまやかしで満ちています。

 

本来人は、本物の信仰を持つことで、それぞれの霊魂を成長させて、肉体の能力を高めることができるということを、RAPTさんは詳しく教えてくださっています。

 

人が罪を常に悔い改めて、神様の考えを入れることで、サタンは人を騙す力を失い居場所を失ってしまうことを知っています。だからこそ、神様の考えが書かれた聖書の証となる遺産を隠したかったのだと考えられます。

 

しかし、神様はこの時代にRAPTさんという中心者を遣わしてくださり、この世界のカラクリから、神様の考えの全て、また神様の人類への深い愛を伝えモーセパウロのように導いてくださっています。

 

そして、御言葉でも以前から伝えれられている通り、歴代の中心者たちの義が今の中心者RAPTさんの義によって満ちたことで、聖霊が強く働くようになり、世界中で祈る人のところで神様のご計画が成されていきます。

 

◯RAPT有料記事874(2024年10月12日)祈る人が神霊になり、神霊な人が信仰がより強くなっていく。そして、信仰の強い人を通してこの地に神様の力を強力に発揮することができる

 

シナイ山の特定

モーセ十戒を授かった聖なる山「シナイ山」はエジプトとカナンの間に位置する「シナイ半島」の南にあるというのが長い間定説でした。

 

しかし、このシナイ山モーセが神様と対面した山であるという証拠が何ひとつ存在しないことが分かってきています。

 

公には発表されていませんが、1970年台の終わりごろから、信仰を持って徹底的に聖書を研究し、本物の聖書の遺産を探し当てるアマチュアの研究者たちの動きが活発化してきました。

 

これまで、聖書に記述されている遺跡や遺構とされてきた場所の信憑性が揺らいでいます。それとは逆に、実は報道されないだけで、相次いで本物の遺跡や遺構の発見がされていました。

 

既にある聖書の遺跡はキリスト教を国教として支配のために利用していたローマ帝国によって、4世紀頃に次々と認定されています。

 

コンスタンティヌス帝の母「ヘレナ女王」はシナイ山をこのシナイ半島の山と認定し、聖地としてこの麓に教会を建てました。その後、西暦527年、同じ場所にユスタニアヌス帝によって聖カトリーナ修道院が建てられています。

 

シナイ半島シナイ山と聖カトリーナ修道院



 

このヘレナ女王は、シナイ山の他にも、脇腹を刺し た槍、そしてエルサレムの旧城壁内に十字架や釘などを発見し、この場所をイエス様が磔刑を受けたゴルゴダの丘と比定しました。

 

シナイ山と同じくこの場所にも「聖墳墓教会」というものを建てて聖地としていますが、こちらも聖書の記述と矛盾する点があります。

 

「それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。」(ヘブライ人への手紙 13:12)

  

エルサレム旧市街の中にある「聖墳墓教会

このように、聖書にはイエス様の苦難(磔刑)に遭われた場所を「門の外で」と書かれていますが、ヘレナの決めたゴルゴダの丘聖墳墓教会)は地図上オレンジの線で囲われた部分、エルサレム旧市街(オールドシティ)の城壁の中にあります。

 

つまり、彼女は人々に信仰が入らないように、本物の聖地を隠すため、「偽聖地」を次々と捏造した人であった可能性がとても高いのです。

 

彼女が定めた聖地のシナイ山の麓は地形的にも狭い谷にあります。

 

出エジプトイスラエル民族は壮年男子のみで60万人という記述から、「女性や子供」を別にして「種々雑多な人々も」とあり使用人などを合わせると推定およそ300万人もの規模であったのではないかと考えられます。

 

このように膨大な規模でしたので、ヘレナ女王のシナイ半島シナイ山は、およそ一年間にも及んだ山の麓での宿営生活を維持するには、相応しくない場所です。

 

イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。 そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。羊、牛など、家畜もおびただしい数であった。」(出エジプト記 12:37-38)

 

実在するシナイ山とは全く違う山をシナイ山とするために、出エジプト記に書かれている山に至る路程、また宿営場所の地図にも嘘が混ぜられています。

特にシナイ山とその周辺、シナイ山に至るまでの道のり、また海を割って渡った葦の海の場所は全くの嘘だということが分かってきました。 

既説の出エジプトルート 新共同訳聖書より

そもそも、出エジプトという史実はエジプト最大の敗北と悲劇であり、自国内に残るこの史実に関わる全ての遺物は徹底的に消し去ってしまいたいと考え、隠したはずです。

 

シナイ山があるとされるシナイ半島はエジプトの領土内であり、その他の遺物もエジプトが徹底的に隠滅したため、ローマ皇帝らにも都合良く、新たな偽の聖地を設定し易かったのではないでしょうか。シナイ山が捏造ならば、シナイ半島という名前もこのための後付けなのかも知れません。

 

また、シナイ半島に逃げたところで、エジプトの領内ならば、エジプトを出ていませんし、全く安全圏ではないところで一年も暮らすことは不可能です。

 

 

 

本当のシナイ山

では聖書の記述から分かる、本当のシナイ山の場所はどこにあったのでしょうか。

 

出エジプトの本当のシナイ山への路程ですが、大まかには、エジプトのゴシェンからスコトに集まり、「紅海の荒野に沿う道」を東に進み、エタムを目指すも、その手前で向きを変えて南下し、ピハヒロテからアガバ湾を海を割って渡りミディアンに入りました。

出エジプトの遺跡とミディアンにあるシナイ山

前回お伝えしましたように、モーセは40歳からエジプトを逃れミディアンの地に80歳まで住み家庭を築いていました。

 

彼が結婚した相手の女性チッポラはミディアンで祭司をしていたエトロの娘であり、その家で飼っていた羊の世話をして暮らしていました。

 

あるときモーセは、その場所から羊の群れを率いて、神の山ホレブ山(シナイ山)まで来て山の上で燃え上がる芝が、燃え尽きることがないのを不思議に思い見ていたとあります。

 

モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。 ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。」

出エジプト記 3:1-2) 

 

モーセは自宅近辺から羊の群れを連れて(おそらく徒歩か馬で)シナイ山まで来たということがはっきりと書かれています。つまり、シナイ山(ホレブ山)は、モーセのしゅうと「エトロ」という同じ名前の地からもすぐ近いところ、ミディアンにあったことが分かります。エトロの地にはモーセがチッポラと出会った井戸が今も遺っています。

 

本当のシナイ山はミディアンの地、現在のアラビア半島の最高峰で半島の西の端にあるジャバル・アル・ローズ連峰の南東「ジャバル・マクラ」Jabal Maqala(海抜2,326 m)であると言われています。

 

その意味は「焼けた山」、その名の通り山頂部分が真っ黒に焼け焦げています。(トップ画像)また、地元の人々はジャバル・ムーサ「モーセの山」と呼んでいます。(シナイ半島の偽物も真似をしてかジャバル・ムーサと呼んでいます。)

 

そしてモーセが、このミディアンのシナイ山にいたとき、続けて神様は、モーセに使命を与えエジプトで奴隷として苦しむイスラエル民族を救い出し、カナンへ導くように、次のようにも伝えます。

 

「神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」」(出エジプト記 3:12)

 

 

つまり、神様は最初から、モーセにエジプトを出たら、モーセが今住んでいるミディアンにあるこの対話した場所、シナイ山を目指して逃げてきなさいと仰っていました。

ということは、モーセがミディアンに暮らしていた平民としての40年という長い時間も神様からの導きによる、周到に用意されていた期間だったのです。

 

モーセが暮らしていたエトロの地は、南北に連なるジャバル・アル・ローズ連峰の南西側地域です。この連峰に属するシナイ山は、エトロの地からも見える距離にあります。

 

ということは、モーセはエジプトの領土内を首相として熟知していただけではなく、お隣の国ミディアンのシナイ山の周辺の道もよく知っていたものと考えられます。

 

エトロの地から見たシナイ山




エリヤとパウロシナイ山を訪れたか

また、他の時代に生きた中心的使命者たちも、このミディアンにあるシナイ山を訪れていた形跡のある記述がありました。

 

イスラエル王アハブの妃イゼベルから、命を狙われた預言者エリヤは、ベエル・シェバから荒野に入り、41日の道のりを経てシナイ山(ホレブ山)にある洞窟に辿り着き、神様と対話しています。

 

「それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、 彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」 エリヤは起きて食べ、飲んだ。

 

その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」」(列王記上 19:3-4, 8-9)

シナイ山の前にあるエリヤの洞窟

 

https://youtu.be/5ptUIdO_5lI?si=48SWa4zrfJcjtFgo



 

 

 

また、パウロシナイ山の場所を、アラビアにあると言及していました。

 

「For this Agar is mount Sinai in Arabia, and answereth to Jerusalem which now  is, and is in bondage with her children.」(Galatians 4:25 KJV)

「このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。」

(ガラテヤ 4:25 )

 

日本語訳の聖書にはこの箇所を、「アラビアではシナイ山のこと」という表現で訳していますが、原書に近いとされる英語訳聖書キングジェームス版には、「アラビアにあるシナイ山」と明確に書かれています。

 

そしてパウロは、イエス様から使命を受けたとき、アラビアに退いたと書いています。つまりパウロもまたシナイ山で錬達を受けていたのかも知れません。

 

「御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、 また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。 それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、」(ガラテヤ 1:16-18 )

 

このような記述から、4世紀ごろの「ヘレナ女王が聖地を隠蔽工作するまで」の新約の時代には、旧約聖書の遺跡が広く知られており、本当の聖地として多くの信仰者たちが訪れていた可能性もあります。

 

パウロも退いていたという表現は、もしかしたらエリヤの居た洞窟で錬達されイエス様の教えを徹底的に学び条件を立てたのでしょうか、想像が広がります。

 

RAPTさんが長い間、山でお祈りを捧げてくださって、多くの命が救われてきた今の時代の状況と重なります。

 

このように、本当のシナイ山が発見されたことで、出エジプトに関する本当の遺跡の場所が聖書とピッタリ符合し始め、その他の場所の発見も加速していきました。

 

 

 

RAPTさんの伝えてくださる御言葉では、今年に入って聖霊の働きが一層強くなり、神様の存在をはっきりと示されていくことが伝えられています。

 

◯RAPT有料記事925(2025年5月3日)コロナ禍のときは全世界でサタンが暴れ回り、多くの人々が苦しみを受けたが、これからの時代は全世界で聖霊が暴れ回り、多くの人々が救いへと導かれるだろう。

 

豊かに条件を立てて、多くの命が救われるよう祈り、そのために出来ることをさらにお祈りして成していけますように。

 

御言葉と聖書の真実が世界中に広がっていきますように、心からお祈りしています。

 

次回は、近年発見されたシナイ山周辺の遺跡や遺構、出エジプトの道のりを聖書に照らして考察してまいります。