otopa記

真実を探し求めて

聖書通読の道のり④

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日本人は「愛しています。」という言葉を恥ずかしくて滅多に使いません。

(いや、私が知らないだけで、みんな使うのかな・・・笑)

 

少なくとも、私などは一生使わないだろうとさえ思っていました。

 

 

しかし、私たちのように毎日神様に祈る者には、「愛しています」としか表現できない感情が湧き上がります。

 

特に深く祈れたとき、そこにはもはや恥じらいも躊躇もありません。

 

なぜなら、それは神様が私たちに純粋な本物の愛をくださる方だからです。

感動を受けると嬉しくて、あまりにもナチュラルに発しています。

 

 

 

raptさんの伝えてくださる【みことば】にはそんな神様の愛がいつも溢れています。気が引き締まるのと共に、本当に幸せな気持ちになります。

 

 

raptさんご自身が、神様の大いなる愛を受けられる程に、とてつもなく大きな愛をお持ちだからなのだと思います。

 

何度聴き返しても、聴くたびにその言葉の力の凄さと、どこまでも矛盾の無い清さに、神様からのものだという感動があります。

 

また、本物の愛とは何か、どのように神様が私たちを愛してくださっているのか、私たちが、どう行動すれば神様が喜んでくださるのか、明確な答えをくださいます。

 

 

 

聖書にも、愛について様々な記述があります。

信仰を持った上で、みことばを聴いて聖書を読む回数を重ねていくと、その言葉はより熱く私たちに感動と悟りを与えてくださいます。

 

 

また、聖書に書かれた最も大切な掟といえば、

 

「心を尽くし思いを尽くし、精神を尽くして主なる神を愛しなさい。」

と、みことばで学びました。(新共同訳 マタイ22章)

 

 

私はこの聖句の「心」と「思い」と「精神」の違いがあまりハッキリせずに、

とにかく【心底情熱的に神さまを愛すること】と感覚的な解釈をしてしまいました。

 

 

ある日、文庫本の聖書を読んでいると、

心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

(マタイの福音書22章37節)と書かれていました。

 

「! これ・・他の聖書と違う。なるほど。」と思いました。

 

そういえば、神様を愛するには、神様ご自身の心情やお考えを学び、【悟ること】がとても大切だと、raptさんが常々おっしゃっていることを思い出しました。

 

 

そこで今回は、この「心」「思い」「精神」の単語の和訳について調べてみました。

 

主な日本の聖書では、この三語を以下のように訳しています。

 

……マタイの福音書22章37節 ……

口語訳 心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。

文語訳 なんぢ心を盡し、精神を盡し、を盡して主なる汝の神を愛すべし。

新共同訳 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

 

 

新改訳 心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

………………

 新改訳では、他の訳とは違っていて

精神→思い 

思い→知力 

という解釈でした。

 

ご注意:ちなみに、私は文庫本サイズ(新改訳)が便利で持ち歩き、普通サイズ(新共同訳)とスマホアプリ(新共同訳、英訳)の三つを合わせて読んでいます。特に新改訳をお勧めする意図はありません。】 

 

 

この【知力】が気になったので、元になったギリシャ語の単語や、英訳聖書ではどう訳されているか調べてみました。(ギリシャ語フォントが上手く出せず、すみません。)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

ギリシャ 

22:37    δὲ  ησος  επεν  ατ,  γαπήσεις  κύριον  τν  θεόν  σου  ν  λῃ  τ καρδίᾳ  σου  κα  ν  λῃ  τψυχῇ  σου  κα  ν  λῃ  τ  διανοίᾳ  σου·

 

英語

mat 22:37 Jesus said unto him, Thou shalt love the Lord thy God with all thy heart, and with all thy soul, and with all thy mind.

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜

整理すると、

 ギリシャ   英語  日本語 

① καρδίᾳ =  heart = 心

② ψυχῇ =    soul =    精神

③ διανοίᾳ =mind =   思い

 

現在の主な日本の聖書では、このような解釈です。

では、心、精神、思いの訳を一つづつ見ていきましょう。

 

καρδίᾳ = heart =「心」

こちらはどの言語も一致で心。

 

 

ψυχ=soul=「精神」

 

⚫︎ギリシャ語 → ψυχῇ 魂、精神、心

 ⚫︎英語   → soul =  魂、精神、心、霊魂、死者の霊、亡霊、気迫、生気、情(知性と区別して)、

 

 

ギリシャ語と英語の訳にはどちらにも新改訳の「思い」という意味はありません。

 下記のように「思い」とは、心の働きであり、「心を尽くし…」の「心」と重複する印象です。

 

●おもい【思い】

1 心がその対象に向かって働くこと。その内容。
心に秘めた気持。
3 心を燃やすような、心の働き。執着心。愛着する心。
 
●こころ【心】
1こころ。思い。内心。
 
 
 
一方、「精神」というのは霊魂の心に近い解釈です。

 

●せい‐しん【精神】
1 人間のこころ。また、その知的な働き。
2 物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。
3 物事をなしとげようとする心の働き。気力。
4 物事の基本的な意義・理念。

 

 ①の「心」との重複を避ける意味でも「精神」や「魂」が適当なのかと思います。

 

  

 διανοίᾳ = mind = 思い

 

⚫︎ギリシャ語→διανοίᾳ = 理解力、知性、認識する、悟る器官としての精神、思い

 

⚫︎英語→mind =精神 意見 知性、知力

 

mindは主に精神と訳されていますが、ギリシャ語の和訳にもある通り

「悟る器官としての精神」または、「知性」「知力」という訳がしっくりくるように思います。

 

 

●ち‐せい【知性】
1 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。
2 比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。

 ●ち-りょく【知力】

知恵の働き。知的な能力。

 

これらを踏まえて考えると

を尽くし、精神を尽くし、知性(悟る力、知力)を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」

と解釈するのが、しっくりきます。

皆さんは、いかがでしょうか。 

 

 

 

イルミナティやこの世の支配層は、私たちから考える力を奪って愚民化を目論み続けてきました。

 

raptさんのお話によれば、既存の教会では、真理をねじ曲げ、聖書の解釈を出来にくくさせられているそうです。読むことすら勧められない教会もあるようです。

 

とすれば、この最も大切な聖句さえも真理をつかめないように日本語訳では、知性や悟りが重要であることをボヤかされたのかもしれません。

 

「心と精神と知性を尽くして悟り、愛する。」という解釈なら、

私たちが、神様をどのように愛すればいいのかが、より明確になるように思います。

 

知性を尽くすためには、聖書を何度も読み、神様の心情やお考えをきちんと理解しなければなりません。そのためには、聖書を自力で読むだけでは、至難のわざです。

 

みことばを聴いたり読んだりすることで、何倍にも理解力が上がります。

それはもう、雲泥の差です。

また、何度読み返してもその時々で、それぞれに必要な答えや悟りを与えてくれます。

 

神様は、聖書とみことばで、清い本物の愛を教えてくださいます。

 

そのガイドに沿って行い生きるなら、さらに理解を深めることができます。

 

 

みことばの中で、神様は「聖書は人類へのラブレター」だとおっしゃいました。 

 

 

◯ 聖書の中には個々人それぞれの答えが封印されている。その封印を解いてこそ自らの人生を成功に導くことができる。

 

 

みなさまが、一日も早く聖書を手に取り、本物の愛に出会えますように。

私たちも、もっと聖書を読み、もっと深く神様の心情を悟れますように。

 

 

みことばを学んで深く祈り行動し、大いなる祝福を受けられますように。