日本人は「愛しています。」という言葉を恥ずかしくて滅多に使いません。
(いや、私が知らないだけで、みんな使うのかな・・・笑)
少なくとも、私などは一生使わないだろうとさえ思っていました。
しかし、私たちのように毎日神様に祈る者には、「愛しています」としか表現できない感情が湧き上がります。
特に深く祈れたとき、そこにはもはや恥じらいも躊躇もありません。
なぜなら、それは神様が私たちに純粋な本物の愛をくださる方だからです。
感動を受けると嬉しくて、あまりにもナチュラルに発しています。
raptさんの伝えてくださる【みことば】にはそんな神様の愛がいつも溢れています。気が引き締まるのと共に、本当に幸せな気持ちになります。
raptさんご自身が、神様の大いなる愛を受けられる程に、とてつもなく大きな愛をお持ちだからなのだと思います。
何度聴き返しても、聴くたびにその言葉の力の凄さと、どこまでも矛盾の無い清さに、神様からのものだという感動があります。
また、本物の愛とは何か、どのように神様が私たちを愛してくださっているのか、私たちが、どう行動すれば神様が喜んでくださるのか、明確な答えをくださいます。
聖書にも、愛について様々な記述があります。
信仰を持った上で、みことばを聴いて聖書を読む回数を重ねていくと、その言葉はより熱く私たちに感動と悟りを与えてくださいます。
また、聖書に書かれた最も大切な掟といえば、
「心を尽くし思いを尽くし、精神を尽くして主なる神を愛しなさい。」
と、みことばで学びました。(新共同訳 マタイ22章)
私はこの聖句の「心」と「思い」と「精神」の違いがあまりハッキリせずに、
とにかく【心底情熱的に神さまを愛すること】と感覚的な解釈をしてしまいました。
ある日、文庫本の聖書を読んでいると、
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
(マタイの福音書22章37節)と書かれていました。
「! これ・・他の聖書と違う。なるほど。」と思いました。
そういえば、神様を愛するには、神様ご自身の心情やお考えを学び、【悟ること】がとても大切だと、raptさんが常々おっしゃっていることを思い出しました。
そこで今回は、この「心」「思い」「精神」の単語の和訳について調べてみました。
主な日本の聖書では、この三語を以下のように訳しています。
……マタイの福音書22章37節 ……
口語訳 心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
文語訳 なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし。
新共同訳 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
新改訳 心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
………………
新改訳では、他の訳とは違っていて
精神→思い
思い→知力
という解釈でした。
【ご注意:ちなみに、私は文庫本サイズ(新改訳)が便利で持ち歩き、普通サイズ(新共同訳)とスマホアプリ(新共同訳、英訳)の三つを合わせて読んでいます。特に新改訳をお勧めする意図はありません。】
この【知力】が気になったので、元になったギリシャ語の単語や、英訳聖書ではどう訳されているか調べてみました。(ギリシャ語フォントが上手く出せず、すみません。)
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ギリシャ語
22:37 ὁ δὲ Ἰησοῦς εἶπεν αὐτῷ, Ἀγαπήσεις κύριον τὸν θεόν σου ἐν ὅλῃ τῇ καρδίᾳ σου καὶ ἐν ὅλῃ τῇψυχῇ σου καὶ ἐν ὅλῃ τῇ διανοίᾳ σου·
英語
mat 22:37 Jesus said unto him, Thou shalt love the Lord thy God with all thy heart, and with all thy soul, and with all thy mind.
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整理すると、
ギリシャ 英語 日本語
① καρδίᾳ = heart = 心
② ψυχῇ = soul = 精神
③ διανοίᾳ =mind = 思い
現在の主な日本の聖書では、このような解釈です。
では、心、精神、思いの訳を一つづつ見ていきましょう。
① καρδίᾳ = heart =「心」
こちらはどの言語も一致で心。
②ψυχῇ=soul=「精神」
⚫︎ギリシャ語 → ψυχῇ = 魂、精神、心
⚫︎英語 → soul = 魂、精神、心、霊魂、死者の霊、亡霊、気迫、生気、情(知性と区別して)、
ギリシャ語と英語の訳にはどちらにも新改訳の「思い」という意味はありません。
下記のように「思い」とは、心の働きであり、「心を尽くし…」の「心」と重複する印象です。
●おもい【思い】
●せい‐しん【精神】
1 人間のこころ。また、その知的な働き。
2 物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。
3 物事をなしとげようとする心の働き。気力。
4 物事の基本的な意義・理念。
①の「心」との重複を避ける意味でも「精神」や「魂」が適当なのかと思います。
③ διανοίᾳ = mind = 思い
⚫︎ギリシャ語→διανοίᾳ = 理解力、知性、認識する、悟る器官としての精神、思い
⚫︎英語→mind =精神 意見 知性、知力
mindは主に精神と訳されていますが、ギリシャ語の和訳にもある通り
「悟る器官としての精神」または、「知性」「知力」という訳がしっくりくるように思います。
●ち‐せい【知性】
1 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。
2 比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。
●ち-りょく【知力】
知恵の働き。知的な能力。
これらを踏まえて考えると
「心を尽くし、精神を尽くし、知性(悟る力、知力)を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」
と解釈するのが、しっくりきます。
皆さんは、いかがでしょうか。
イルミナティやこの世の支配層は、私たちから考える力を奪って愚民化を目論み続けてきました。
raptさんのお話によれば、既存の教会では、真理をねじ曲げ、聖書の解釈を出来にくくさせられているそうです。読むことすら勧められない教会もあるようです。
とすれば、この最も大切な聖句さえも真理をつかめないように日本語訳では、知性や悟りが重要であることをボヤかされたのかもしれません。
「心と精神と知性を尽くして悟り、愛する。」という解釈なら、
私たちが、神様をどのように愛すればいいのかが、より明確になるように思います。
知性を尽くすためには、聖書を何度も読み、神様の心情やお考えをきちんと理解しなければなりません。そのためには、聖書を自力で読むだけでは、至難のわざです。
みことばを聴いたり読んだりすることで、何倍にも理解力が上がります。
それはもう、雲泥の差です。
また、何度読み返してもその時々で、それぞれに必要な答えや悟りを与えてくれます。
神様は、聖書とみことばで、清い本物の愛を教えてくださいます。
そのガイドに沿って行い生きるなら、さらに理解を深めることができます。
みことばの中で、神様は「聖書は人類へのラブレター」だとおっしゃいました。
◯ 聖書の中には個々人それぞれの答えが封印されている。その封印を解いてこそ自らの人生を成功に導くことができる。
みなさまが、一日も早く聖書を手に取り、本物の愛に出会えますように。
私たちも、もっと聖書を読み、もっと深く神様の心情を悟れますように。
みことばを学んで深く祈り行動し、大いなる祝福を受けられますように。