otopa記

真実を探し求めて

ラプトブログと走って三年

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『何故こんなにも生きづらいのか』

理由を知って、対処するすべを得たなら、抜け出せるかも知れません。

 

 

 

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ラプトブログに出会って五年半、ラプトさんに学び、み言葉に従って三年が過ぎました。

 

夢中に走って、つまづき、転んで、泥んこになって、もがいた日々を、ツイートサイズにぎゅっと縮めて(あまり縮まらず失礼いたしました。)振り返りました。

 

ツイッターでつぶやいた内容ですので、なるべく短い文章を意識して書いたのですが、こちらのブログでは、少しだけ言葉を足しています。

 

また今後、他の証も再開していこうと思います。

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道半ばの私の話で恐縮ですが、少々お付き合い頂けたら幸いです。

 

 

 

 

 

私は、子供の頃から引っ込み思案で体力が無く、
困ったらすぐに、家族に甘える弱虫だった。

 

そんな甘えた根性の私が、社会に出て働き、やがて自分の家庭を持ち、家族や親を支える立場になる。

 

当然、会社や家庭などの様々な場面で、実力の無さに落ち込む。

 

無知で世間知らずな私の努力だけでは、どうにもならない壁に何度もぶち当たり、なす術無く自分を責めて落ち込み、霊肉共にぼろぼろに。

 


薬や娯楽で心と身体の痛みを散らすも虚しく、一時的な、ごまかしにさえならず。

 

足りない何かがあるという思いが、いつもあった。

子供の頃からそれを探していたが見つけられず、その思いは年々強くなるばかり。

 

けれど、どんなに欲しかったモノ
立場を手にしても、生き辛かった。

音楽をしても
旅に出ても
本を読み漁っても
誰かに認められても
家族に恵まれても。

 

毎日、生きる意味を探した。

 

この世の真実を
何も知らなかった。

だから苦しかった。

 

永遠に朽ちない愛の存在を
知らなかった。

だから不安だった。

 

 

そんな時、命を賭けて真実を
明らかにする方と出会えた。

 

嘘も裏も無い、真っ直ぐな言葉を
当時から毎日紡ぎ出してくださったrapt さん

 

愛に満ちたその方は、全力で悪と戦い、勝利されてきたご自身のどんな姿をも、包み隠さず話してくださった。

 

また、その親しみのある優しい言葉と力ある声は、ある時は温かく、ある時は厳しく私たちに本気で教えようと、熱く語りかけてくださる。


愛と真理を持つ本物の先生だった。
「やっと見つけた。」

と感動し安堵し、涙した。

心から感謝した。

 

私もこの方について行きたい、と憧れた。

当初、現実は変われない自分の足りなさに、いつも泣いてばかりだった。

それでも悔い改め、不格好でも神様に祈りすがりついてきた。

 

 


またraptさんが、どんどん明らかにされた真実は、時に残酷で、絶望し怒り
目をそむけたくなった。

けれど、知る義務を感じた。

 

悪人が善人を苦しめ
暴利を貪っていることを。

私たちが皆、ダマされていることを。

 

さらには、信じがたいことに
悪魔、悪魔崇拝者たちが実在すること。

 

けれど神様を信じ正しく生きる者には、最強の神様が共にしてくださって、助けてくださること。

 

rapt blogは真実を解き明かすだけではなく
その悪にどのように対抗し、勝利できるのかという方法までも備えていた。

どれも人間が考え出せる技ではなかった。

 

 

 

それはまさに、本物の神業としか思えない
神様の【みことば】と聖書による道しるべ。

 

神様は、手取り足取り無知で罪深い私でも
その大きな愛で、導き育ててくれる。

 

矛盾の無いその真理には、他の宗教とは真逆の安心感と清さがあった。

 

いつも私に刺さり続けた。

それは、今日もこれからも。

 

神様に祈り、神様に喜んでもらいたいと働くことで、無力だった私にも、愛と力が熱く湧き上がる。

 

真実を広める働きを通して、無知でB層だった私に知恵と知識を与え続けてくださる。

 

また、今まで「どれだけの貴重な時間をドブに捨てて来たのか。」と愕然とした。

その時間を取り戻したいと願った。

 

聖書を過去のものとして、本棚の奥に追いやり、世の中の毒された価値観に浸り、苦しい生を選んで生きて来た自分を悔いた。

 

「知らずに罪に溺れているかも。」という焦りも手伝って、聖書とみことばを寝る間を惜しんで夢中になって読んだ。

 

余命わずかだった「家族を救いたい。」という思いが、背中を押したのも事実だった。

 

 

 

信仰を持って三年が経ち、心も身体も幾分強くなった私がいる。

 

なぜなら、弱く無力な自分を認識し、悔いて改め、変われることがわかった。

プライドもへし折られた。

 

辛い時には神様に、すがることもできる。

みことばや祈りを通して答えをくださる。

 

 

 

 

 

この三年間に、実の両親を失い、今、義母が食事を拒むようになり、終末期医療を受けている。

 

死を目前にしても認知症により、自分の置かれた状況がよくわからないまま、病院のベッドで穏やかに過ごす義母。

いつもぼんやり天井を見上げている。

 

息子を、かろうじて家族と認識しているが

溺愛した孫や、私と過ごした日々の記憶はもう引き出せない。

 

寂しくもあるが、家族がゆっくり見送ることができる。

この時間をくださった神様に感謝している。

 

私が両親を看取れなかった代わりの機会をくださったのだと、神様の愛を感じ感動する。

 

 

 

rapt 理論で真実を知れば、世の中の嘘にはもうダマされない。嘘の情報や罪へ誘う毒を避けられ、深く考える力を得る。

 

神様の御言葉を守ることで、罪から遠ざかり、誰もがきっと清くなれるのだと信じられる。

 

「神様のため、苦しむ誰かを神様に繋ぐためなら、喜んで働きたい。」と思える。

 

私が長年求め続けた、生きる意味をここに見出した。

 

 

 

 

神様に愛されて、助けを得られ、不安心配は過去のものになりつつある。

 

これまでに無かった次元の喜びと平安が、本当にこの世にあることを知った。

 

それが、神様の愛なのだと。

 

 

 

 

その限りない愛を受けて「私も神様のお役に立ちたい。」と心から願うなら、

 

どれほど人生が、好転するだろう。

どれほど活力が、みなぎるだろう。

 

きっと、この幸せは際限なく増し、さらに私たちの想像を遥かに超えるものとなるのだろう。

 

 

 どうか本物の神様の、清い愛があることに気づいてください。

 

苦しみは喜びへの導きでした。

 

やっと見つけた希望の扉を開いて、暗闇を抜け出す階段を駆け上がる時です。

 

 

 

どうかあなたにも、大いなる平安が訪れますように。

生きる意味を知って、力を得て頂けますように。

 

 

 

心からお祈りしています。

 

 

 

rapt-neo.com