otopa記

真実を探し求めて

私たちの命をねらう医療の闇

大久野島の砲台 弾薬庫(広島県

 

  海外からも含め、年々観光客が増加する大久野島は、かつてある理由から、一時期その存在を地図上からも消されていました。

 

島民を追い出し、発電施設まで整え「毒ガス弾製造」のための島として密かにその役割を担っていたからです。

 

この島に今700匹以上生息するウサギたち。

 

島生活の始まりは、動物実験のために飼われていた一部が生き残り、野生化したのだとか。(戦後殺処分があり、当時のウサギの血を受け継いでいるかは不明。)

 

ウサギの島、ラピュタに似た島としてSNSで有名になったのだそうです。



 

 

前回は「花粉症がケムトレイルで作られる可能性」についてお話ししました。

 

 

その 毒ガス「あか剤」(くしゃみ剤)は、この一見平和に見える島でも、大量に製造されていました。

 

東京第2陸軍造兵廠忠海製造所 広島県竹原市 大久野島

・きい剤(マスタードガス、イペリット) 1,451トン

・ きい剤(ルイサイト)824トン

・ ちゃ剤(青酸)13.2トン

・ あか剤(くしゃみ)剤(ジフェニルシアノアルシン) 958.1トン

・ みどり剤(クロロアセトフェノン ) 7トン

(環境省HPより)

 

 

 

 

 🔵今回は、その毒ガスや細菌兵器、生物兵器などの研究が、さらなる医療利権につながり、様々な病気を生み出している可能性について。

 

今回も、3つの角度から考えてみましょう。

 

 

 

🔶考察1:旧日本軍の悪しき研究

 

日本政府は、余った毒ガスを中国や日本国内の地中、また海洋にも大量投棄したことを認めています。

  

この毒ガス、あか剤の他にも種類があり、終戦時に多くの余剰在庫を抱えていました。

終戦時旧軍毒ガス弾等の生産・保有状況(環境省HP)

 

f:id:otopaki:20190323042259j:plain

1北海道千歳市 2札幌市 3青森県むつ市 4岩手県滝沢村 5山形県米沢市 6福島県いわき市 7千葉県習志野市 船橋市 8新宿区 9横浜市 10神奈川県寒川 11神奈川県平塚市 12神奈川県湯河原町 13厚木市 14横須賀市 15逗子市 16富山県高岡市 17静岡県引佐郡 18京都府舞鶴市 19舞鶴市 20岡山市 21岡山県三軒屋 22広島県大久野島 23広島県江田島 24広島県阿波島 25広島市八本松 26呉市 27呉市安浦町 28山口県大嶺 29福岡県北九州市 30福岡県志賀島 31小倉市 32長崎県佐世保市 33大分市 34大分県耶馬溪 (地図上無表記:愛媛県上浦町




 

 

その毒ガスのおおまかな種類がこちら

f:id:otopaki:20190316041646j:plain

 

 

  

 日本は、日中戦争、太平洋戦争のさなか、国際的に使用を禁じられていた毒ガス兵器や細菌兵器を大量に製造、使用していました。

 

前回少し触れた、旧満州国731部隊では、これを動物だけでなく、実際に生身の人間で実験を行い乳幼児や妊婦を含む多くの命を犠牲にしました。(閲覧注意)

◯日本の731部隊が実行した鬼畜すぎる9つの人体実験 / 女性「子供の命だけは助けて」

 

 

 2018年には、国内でも旧日本海軍でも兵士を対象に、毒ガスを使用した人体実験を行っていたことも明らかにされました。

 

〜〜〜転載こちらから

 

日中戦争や太平洋戦争当時に旧日本海軍が、毒ガス研究のため国内で人体を使って実験していたことが分かった。皮膚をただれさせる「びらん剤」を塗るといった内容を詳述した複数の資料が、防衛省防衛研究所国会図書館に所蔵されているのを共同通信が確認した。一部は軍関係者が対象と明記され、皮膚に水疱(すいほう)が生じる被害も出ていた。

 日本軍の毒ガスを巡っては、陸軍が中国大陸で戦闘や人体実験に使った記録などが一部残っている。今回の資料で海軍による人体実験が裏付けられた。

写真

 

〜〜転載ここまで

 

びらん剤(きい剤)マスタードガス抗がん剤として、ガン治療に使われています。

 

↓こちらのブログに、とてもわかりやすく書かれています。必読です。

◯癌という病気は存在しないと断言できる幾つもの証拠(1) | Kawataのブログ

◯RAPT×読者対談〈第115弾〉癌という病気は存在しない。(後編)

 

ガンは嘘だったのです。抗がん剤という毒で殺されるのです。

 

 

 

また実際に、中国に対し毒ガス弾や細菌兵器の作戦を実行して多くの命を奪いました。

 国内では他にも、製造工場や開発に従事していた人たちの犠牲も多数。

 

そして近年、731部隊出身者たちの、就職先や天下り先も実名で明らかにされました。

 

 

 

 

🔶考察2:毒の継承者たち

 

 

これらの悪行を主導指揮したのが、当時の首相岸信介、安倍首相の祖父です。

 

多くの命を奪い、まだ今もその血を受け継いだ者たちがこの国を支配し、当時となんら変わらない戦争礼賛思想のままの遺志を受け継ぎ、トップに君臨し続けています。

 

 終戦後、満州国人脈やその子孫たちは、悪人ほど優遇されて、産・官・学・芸能界やメディアで暴利をむさぼっています。

 

果たして、本当に戦争のためだけの研究開発だったのでしょうか。。

 

 

〜〜〜以下転載こちらから

 

731部隊のその後を見ると 日本の医療とはなにか見えてくる。

予研(国立予防衛生研究所)とミドリ十字のいかがわしさ。

そして大学・製薬会社のいかがわしさ。

 

ミドリ十字解体後 多くの社員は武田薬品に戻った。

 

731部隊は3000人もの医師たちが関わって 中国で細菌戦と人体実験をしていた。妊産婦 子どもも例外ではなかった。(武田薬品からの出向が多かった)

 

終戦時に特別列車で日本に帰った石井四郎ら幹部は、実験資料を金沢市に保管、千葉の石井の実家にも分散して隠し持っていた。戦後、石井は連合国軍による戦犯追及を恐れ、病死を装い、千葉で偽の葬式まで行い行方をくらます。

 

1947年1月、東京裁判ソ連側検事のヴァシリエフ少将が、石井らの身柄の引渡しを要求。しかし同年2月10日に、GHQ内のアメリカ政府の関係者は米本国政府に対して

「石井達をソ連に尋問させて良いか」と電文を出す。

同年3月20日、それに対しアメリカ政府は「アメリカ人の専門家に石井達を尋問させる。重要な情報をソ連側に渡してはならない」と回答。

 

石井は再度のGHQ内のアメリカ人による尋問に対し、「人体実験の資料はなくなった」と主張。さらに、アメリカの担当者ノーバート・フェル博士に文書での戦犯免責を求めると共に、「私を研究者として雇わないか」と持ちかけた。

 

近年アメリカで公開された資料によると神奈川県鎌倉での交渉で731部隊関係者側が戦犯免責等9か条の要求をしていたことが判明。

 

日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる

「報告はロシア人には全く秘密にされアメリカ人にのみ提供される」

等と書かれており、731部隊の幹部たちは戦犯免責と引き換えに人体実験の資料をアメリカに引き渡した。(広島・長崎の研究に協力することも条件のひとつだった)

 

 

731部隊関係者のその後、および厚労省との関係

731部隊関係者の戦後の職業(明らかな者のみ)
氏名 所属 戦後の職業・役職
青木義男  長沙、漢口  長崎大学 
安東洪次  大連衛生研究所  武田薬品顧問 
石川太刀雄丸  731部隊  金沢大医学部病理学教授 
岩田茂  満州医大  大阪大微生物研観音寺 
植村肇  731部隊  文部省
江口豊潔  731部隊  江口病院長 
江島真平  731部隊  予研血液部 
大塚憲二郎  731部隊  国立東京第一病院 
緒方富雄  防疫研嘱託  東京大医学部教授血液学
岡本耕造 731部隊  兵庫医大教授、東北大京都大医学部病理学第四代主任、 近畿医大医学部長 
小川透 栄1644部隊 名古屋大医学部助教授 
大田黒猪一郎

731部隊

南方軍防疫給水部

ミドり十字常務取締役
笠原四郎 731部隊 北里研病理部長
春日仲善

731部隊

大連衛生研

北里研究所
加藤勝也 731部隊 名古屋公衆医学研究所
金沢謙一 大連衛生研 武田薬品研究部長
金子順一 731部隊

東芝生物理化学研究所新潟支所、

予防接種りサーチセンター

川島清 731部隊 八街少年院
北岡正見 栄1644部隊 予研第四代副所長
貴宝院秋雄

731部隊

南方軍防疫給水部

京都微生物研究所
北野政次 731部隊 ミドリ十字一東京)取締役
清野謙次 防疫研嘱託 京都大病理学教室教授
木村廉 防疫研嘱託 京都大細菌学教室教授
草味正夫 731部隊 和薬科大
工藤忠雄 731部隊 大阪日赤
国行昌頼 731部隊 日本製薬KK、大学講師
倉内喜久雄 731部隊 永寿病院院長
小酒井望 防疫研 順天堂大浦安病院院長
小島三郎 栄1644部隊 予研第二代所長
児玉鴻 731部隊 予研初代所長、慶応大教授
斎藤幸一郎 陸軍技師 京都大付属医専教授、山口医専教授、長崎医大
榊原秀夫

731部隊

162部隊

総合病院南陽病院勤務
貞政昭二郎 731部隊 原爆傷害調査委員金一検査技師〕
宍戸亮 防疫研嘱託 予研第八代所長
潮風末雄 731部隊 三重大学医学部病理学
篠田統 関東軍北支軍技師 三重県医専教授
篠原岩助 731部隊 国立都城病院付属高等看護学
正路倫之助 防疫研嘱託 京都大教授
鈴木重夫 731部隊 東京衛材研究所
関根隆一旧安川一 731部隊 東京水産大学
瀬尾末雄 731部隊 三重大学医学部病理学
妹尾左和丸 731部隊 岡大医学部病理学
園口忠男 731部隊 陸上自衛隊衛生病学校、熊本大
田崎忠勝 栄1644部隊 信州大
高橋僧

731部隊

中留隊

高橋病院院長
巽産治 731部隊 巽病院院長
谷口典二 同仁会華中支部 大阪大微生物研所長
田中英雄 731部隊 大阪市医専講師、大阪市立大医学部長
田部井和

731部隊

大連衛生研

京都大学医学部微生物講座主任
所安夫 731部隊 東京大病理学助教授、帝京大医学部
内藤良一 防疫研 ミドリ十字会長
中黒秀外之 731部隊 陸上自衛隊衛生学校校長
長友浪男 731部隊 北海道庁衛生部長(副知事)
中野信雄 731部隊 加茂病院院長
西俊英

731部隊

孫呉支部

西病院院長
根津尚光 731部隊 都立衛生研究所
野口圭一 731部隊 ミドり十字(名古屋営業所所長〕
野田金次郎 栄1644部隊。 信州大
野呂文彦 731部隊 野呂病院院長
羽山良雄

731部隊

防疫研究室、

岡9420部隊長

開業
浜田稔 731部隊 京都大学農学部助教
田豊 731部隊 香川県衛生研究所
早川清 731部隊 早川予防衛生研究所
林一郎 陸軍技師 京都大講師、長崎医大教授
肥野藤信三 731部隊 肥野藤病院院長
平山辰夫 731部隊 東京都立撮子保健院
稗田憲太郎 満州医大教授 久留米大学医学部長
樋渡喜一 731部隊 樋渡病院院長
広木彦吉 満州医大微生物学 北里研究所、日本歯科大学細菌学教授
福見秀雄 防疫研究室所属 予研第六代所長
藤野恒三郎 南方防疫給水部 大阪大微生物研
細谷省吾 防疫研嘱託

東京伝染病研究所長

堀口鉄夫 731部隊 予研
増田美保 731部隊 防衛大学
三井但夫 栄1644部隊 慶応大学助教
湊正男 731部隊 京都大学
宮川正 731部隊 埼玉医大
村田良介 防疫研嘱託 予研第六代副所長、第七代所長
目黒正彦 731部隊 目黒研究所
目黒康雄 731部隊 目黒研究所所長
八木沢行正 731部隊 抗生物質協会
山口一季 731部隊 国立衛生試験所
山田泰 731部隊園田隊 九州大学
山中太木 栄1644部隊 阪高医専助教
吉村壽人 731部隊 京都大航空医学教室助教授、京都府医大兵庫医大教授
若松有次郎 100部隊 日本医薬
柳沢謙 防疫研嘱託 予研第五代所長
渡辺栄 731部隊 阪大微生物研観音寺
文献:1.日韓関係を記録する会編「資料・細菌戦」一晩聲社一 2.高杉晋吾「731部隊細菌戦の医師を追え」(徳間書店
    3.常石敬一「医学者たちの組織犯罪」(朝日新聞社) 4.「日本伝染病学会会誌」、「京都大学70年史」

 

厚生省関係者の天下り
氏名 在省時の部署 天下り
伊藤和洋 製薬課審査課長補佐 田辺製薬
喜谷市郎右衛門 薬事監視管理室 中外製薬
平瀬整爾 製薬課課長 藤沢薬品
水野達夫 製薬課課長 山之内製薬
湯島実 製薬課課長補佐 エスエス製薬
長谷川栄三 企業課輸入係長 大日本製蘂
小玉知已 細菌製剤課課長補佐 ミドリ十字
蔭山修次 薬事課課長補佐 第一製薬
小幡昌利 企業課課長補佐 日本製薬
大野邦一郎 薬事課課長補佐 日本ケミファ
伊藤酉一 麻薬第2課長 日本メルク万有
小高愛親 食品化学課長 エスエス製薬
滝沢信夫 大臣官房事務官 味の素
中野正剛 企業課課長補佐 協和発酵
石井律三 大臣官房事務官 中滝製薬
庄子敏彦1 麻薬取締官 田辺製薬
佐藤大 麻薬第2課長 興和
坂上米次 薬事専門官 味の素
松下廉蔵 薬務局長 ミドリ十字
今村泰一 薬務局 ミドリ十字
山崎圭 薬務局長 バイエル薬品
富安一夫. 薬務局 ミドリ十字
中野徹 薬務局長 日本べ一リンガーインゲルハイム
代田久米雄 薬務担当審議官 日本べ一リンガーインゲルハイム
平林敏彦 薬務局生物製剤課 カッタージャノ“ン
安田純一 国立予防衛生研 日本臓器製薬
梅本純正 大臣官房事務次官 武田薬品

 

国立予防衛生研究所の731部隊関連関係者
名前 戦後の役職 戦時中の部署
小林六造 初代所長 防疫研究室嘱託
小島三郎 二代目所長 栄1644部隊
小宮義孝 四代目所長 華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
柳沢謙 5代目所長 防疫研究室嘱託
福見秀雄 六代目所長 防疫研究室所属
村田良介 六代目副所長・七代目所長 栄1644都隊
宍戸亮 八代目所長 米軍401部隊
北岡正見 ウイルス・リケッチャ部長・四代目副所長 米軍401部隊
朝比奈正二郎 衛生昆虫部部長 731部隊ワクチン班班長
江島真平 血清学部 731部隊赤痢班長
八木沢行正 勤務 731部隊植物研究班班長
堀口鉄夫 勤務 731部隊


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


〜〜転載ここまで

 

731部隊は、多くの研究者が武田薬品から満州への出向者でした。

彼らの多くは戦後、帰国後にミドリ十字を創業するも、薬害エイズ事件で業績悪化し、今の田辺三菱製薬に吸収されました。多くの者たちは、武田薬品へ再び戻りました。

 

戦犯を免責され、大学の研究者、製薬会社、国立予防衛生研究所へと手厚く受け入れられ、その汚れた実績を大いに生かして、何を研究し今に引き継いでいるのでしょう。

 

 

 

🔶考察3:ふくらむ研究設備への投資

 

 ◆湘南ヘルスイノベーションパーク

2011年、武田薬品工業が総工費約1,470億円を投じて設立した、地上10階建、延べ床面積31万m2を超える世界最大級の医薬研究所。

 

 

武田薬品といえば、社外取締役に數土文夫という人がいます。

◯日本国民から集めた血税をポケットマネーのように自由に使い回す「数土文夫(すどふみお)」という怪しげな人物。

さらに怪しさが増し加わりますね。

 

 

武田薬品湘南研究所 動物実験施設を7棟完備 BSL3

 

 

 

 

 ◆ 2018年 BSL4施設着工 長崎大学

 

地上5階建て(高さ約43メートル)で、建築面積は1278平方メートル。

建設費は約75億5千万円。2021年度に完成予定で、2022年度以降、段階的な稼働を経て本格稼働を目指す。

 国家プロジェクトの一環として血税の投入も見込まれています。

 

f:id:otopaki:20190313030800j:plain

 

 

こちらは最も危険度の高い細菌や病原菌を取り扱えるレベルの研究施設だそうです。

完成して稼動すれば、国内では東京の国立感染症研究所に続いて2例目となります。

 

 国立感染症研究所武蔵村山市)BSL4施設完備

 

 


 

◼︎ バイオセーフティレベル(biosafety level BSL)とは

微生物・病原体等を取り扱う実験室・施設の格付け(ウィキペディア

 

 

 

 長崎大学ホームページより

 

 

 

 

 

国立感染症研究所長崎大学の施設はこの最高レベルBSL−4。

 

ということは、エボラ出血熱天然痘、ラッサ熱などの研究が中心になる施設。

 

 はい、出ました、エボラ出血熱ですね。

こちらもラプトさんによって、その正体が暴かれています。

◯ エボラワクチンは殺人兵器。投与した人のみがエボラに感染する仕組みです。

◯エイズの年間死亡者数160万人。マラリア60万人。エボラ熱は現在4555人。なのに、なぜエボラ熱だけこんなに騒がれるのですか。

◯エボラ熱騒ぎの最大の目的は、ロスチャイルドが西アフリカにあるダイヤモンド原石を独占すること。

 

 天然痘は1980年に撲滅。(生物兵器として存在している可能性が残る。)

 ラッサ熱もエボラと同じ構図と思われます。

 

 

 

「産官学」よってたかって血税使って本当は何してるのでしょうか? 

 

医療とは何だったのでしょう。

 

調べれば調べるほど矛盾と嘘と隠蔽、行き着く先は命の搾取です。

 

医療の闇は、元をたどればいつも満州につながっています。

↓詳しくはこちらに明らかにされています。

 

◯「第三次世界大戦」を引き起こそうとしている厳然たる事実。

 

 

 

 

戦争は終わっていなかったのです。

 

私たちが、この国の本質を知ろうとしなければ、国もろとも滅びます。

 

誰一人として、無関係でいられる事態ではありません。

 

◯「日本会議」の本体である「生長の家」は、基本的人権、国民主権、平和主義を全ての国民から奪おうとしています。 | Kawataのブログ

 

 

 

 

 rapt理論を知れば、世の中の矛盾がはっきり見えてきます。