otopa記

真実を探し求めて

遠い日の奇跡

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「ママ、なんか誕生日みたいだねぇ。」 
 
 
まだ肌寒い春の日、病床にあった幼い娘が、やっとイチゴのショートケーキを一口食べて言った一言に、嬉し涙が溢れました。
 
今振り返ると、神様が祈りを叶えて下さった奇跡の瞬間でした。
 
 
 
 
 
娘が高熱に浮かされ、小児病棟の薄暗い個室で過ごしたあの時。
 
信仰の無い私が、厚かましくも神様に毎日祈り続けました。
 
主治医から
「高熱の原因がわからない、最悪の状況も覚悟して下さい。」
と言われました。
 
 
 
 
ワラにもすがる思いで、ずっと祈り続けました。
 
「神様、この子を私たちから奪わないでください。」
 
「どうか、病を治して元の元気な女の子に戻してくださるなら、他に何の望みもありません。お願いします。お願いします。」
 
 
 
 
 
なかなかその祈りは届かず、様々な検査や投薬も虚しく、小さな体の40度の熱は一向に下がらなかったのです。
 
私は、小児病棟の個室に簡易ベッドで泊まり込みを許していただき、付き添っていました。
 
夫は超多忙な仕事を抱えながら、私たちの衣類を洗濯して運んで来てくれたりしていました。
 
娘は日中も、辛そうに眠っている状態が続きました。更に毎日の採血の時間には怯え、泣き叫んでいました。
 
食事も出来ず、点滴に頼る状態でしたが、なぜか売店の紅茶だけを好んで、少しだけストローで飲ませていました。
 
 
 
 
 
ただただ、祈るしかありませんでした。
 
私はこの時、余りの苦しさに、自然と自分の中のあらゆるエゴを、心から悔い改めたいと思いました。
 
これまで自分が何をどう間違えたのか、どう改めるべきなのか考えに考えて祈りました。
 
 
 
 
 
そして神様は、願いを叶えてくださいました。
 
 
入院から3週間ほどが過ぎたある日、熱は下がり始め、辛かった様々な症状も緩和して回復の兆しを見せました。
 
 
「ああ、神様はいらっしゃる!」
 
「ありがとうございます!心から感謝します。」
 
「この子は、私たちの子だけれど、神様こそがもう一度、命を授けて下さったんだ。」
 
「神様からお預かりしているのだから、世の中のために神様の願う人間に育つよう努力して、恩返しがしたい!」
 
そういう思いがこみ上げました。
 
 
 
 
本当に困った時にだけ、すがり付いてきた勝手な私の願いをも、神様は叶えてくださいました。
 
「私たちから奪わないでください。」という願いも本当は勝手なものでした。
 
そもそも娘は、私たち親の所有物ではありません。
 
生まれる時には、健康だけを祈り感謝できていたのに、成長するにつれて様々な親の私の欲で、あれこれ望んでしまっていました。
 
 
 
 
 
 
私たち親も含めて、人は神様がお創り下さって、神様を愛し、御心を成すために生まれて来ました。
 
私たちが、神様と一対一の清い愛で結ばれているのです。
 
個々は生まれながらに独立していて、親でも無く、子でも無く、パートナーとでも無く、神様と第一につながっています。
 
神様とつながった個々が、第二番目に兄弟姉妹、次に世の中の人間同士のつながりを与えていただいているのだと、最近は強く感じることができるようになりました。
 
それもこれもラプトさんのブログのおかげです。
 
 
 
 
 
神様の願いを叶える(御心を成す)ことは、実はその過程において、神様から不純物の無い清い、真の教育を受けられるということです。
 
人をどこまでも成長できるように、神様は導いて練達してくださいます。
 
しかも、神様は私たち一人づつに、壮大なプランを用意してくださっています。
 
私たちが悔い改め、神様を心から愛することができれば、神様は大きな愛で、私たちを導いてくださるのです。
 
その愛には限りがありません。
 
 
 
 
 
 
しかし当時、確たる信仰の無かった私は、いざ子供が健康を取り戻した数年後には、また神様の恩恵を忘れて、様々な欲が出てあれこれ望み、また反省するという状態を、繰り返して来たように思います。
 
 
 
今、ラプトブログに出会い、信仰を持つようになって、これまでの様々な試練はそんな無知な私に、悔い改めの機会を何度も頂いていたのだとはっきり理解できます。
 
 
どんなに、歯がゆく情けない私でも、そばに居てくださったのだと思うと、申し訳なく、恥ずかしさでいっぱいです。
 
 
 
 
 
 
 
信仰生活は、一見大変で拘束されているように思われ、世の中の人には敬遠されますが、実はどこまでも深い神様の愛で、無駄の無い矛盾の無い成長をさせて頂ける近道であり、そこにはいつも清らかな道しるべがあります。
 
 
今となっては、その道から離れて生きることは、私にとって、無防備でとても頼りなく危険で恐ろしいことです。
 
 
やみくもに走り回って、遠回りしても、神様の元へ戻れるなら幸いですが、戻れなければ、苦悩の末の絶望が待っているのだと感じます。
 
 
 
 
 
 
お陰様で、あれから娘は後遺症も無く元気に成長しました。
 
親子共々、神様に命を救っていただいた愛を、恩返ししていきたいです。
 
 
 
娘もまたラプトブログ聖書を読み、明け方お祈りを捧げています。
 
どうか、これからも神様に導かれて義を行う者と成れますように。
 
 
 
 
 
 
私たちが経験したすべてのことを、神様に心から感謝します。
 
 
 
 
私たちが、この先もどんな試練があっても、ずっと神様の愛に感謝し、
神様を心から愛し、御心を成すことができますように。