otopa記

真実を探し求めて

仏教への違和感

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私は、あるとき、田舎から上京してきた父方の祖母と暮らしはじめました。
 
 
 
それまでは家に無かった仏壇と共に、祖母は引っ越してきました。
 
真面目で几帳面な信者だった祖母は、毎朝小さな湯飲みには淹れたてのお茶を、小さな脚付きの器には炊きたてのご飯を、上手に丸くこんもり盛って、仏前に供えます。
 
菊の花を生け、頂き物は一番に供えていました。
 
毎朝、線香の香りと祖母の読経に鐘の音が聞こえてきます。
 
私はこの仏様を、大切にするように祖母からも父からも厳しく躾けられ、育ちました。
 
その影響もあり、父の意向で、祖母がよくお参りに行っていた寺が管轄する某仏教高校へ通うことになります。
 
 
 
 
 
 
ただ、私は小学生の頃から、仏教や仏像に対して違和感を持っていました。
 
歴史の教科書に載っている仏像や、遠足で訪れた寺の仏像が、怖くて直視できなかったのです。
 
お寺の暗い雰囲気と仏像の目つき、高価な着物と袈裟をつけた出で立ちのお坊さんの威圧感も、好きではありませんでした。
 
 
 
 
小5の高野山の林間学舎では、山道を歩きながらお墓が怖くて終始悪寒がしていました。なぜか「神様守ってください!」と、助けを求めていた記憶が薄らとあります。
 
当時キリスト教信仰はありませんでしたので、漠然と大いなる神様に祈るとでも言いますか、困ったら「神様!」と心の中で叫ぶことをしていました。
 
 
 
 
しかし、その仏教全般に対する違和感と嫌悪感を、私は「自分に罪があるからではないか」と漠然と考えていたのです。
 
三女として生まれた私は、親からは真面目で手がかからないと言われていましたが、実は姉二人が親から叱られる様子を見ては、叱られないように立ち回るずるい子供でした。
 
時には、うまく嘘をついたり、近所の幼なじみの子には、自分が姉から受けたのと同じようにその子に対して偉そうな態度だったと、母から聞かされました。
 
高校受験の時には「父の勧める仏教校へ行けば、そんな悪い性根も正してもらえるかもしれない。」と今思えばとても安易な考えでした。
 
 
 
 
 
なんとか合格して通い始めましたが、そこにあったのは、仏教校ならではの異空間でした。お寺の境内に建てられた校舎は、窓一枚でお墓も隣接するという異様な雰囲気です。
 
先ず、登校時に校門では、菩薩像に必ず一礼します。先生が上から下まで髪型やスカート丈など、全身身なりをチェックしながら、きちんと一礼したかどうかを、一人ひとり見ていました。
 
朝のホームルームでは、般若心経を各クラスで校内放送の音声に合わせて読経。
 
どこまでも暗い、仏教の聖歌を歌い重苦しい一日の始まりです。
 
週に一度でしたか、うろ覚えですが、全校朝礼では、例の煌びやかな袈裟をつけ高価な着物を着た校長先生のお出ましがありました。
 
話の内容は覚えていないのですが、受験前に変なおまじないを教えてもらったことだけ覚えています。
 
両手のひらを太陽に向けて親指と人差し指で三角を作ります。それをおでこに持ってきて、呪文「オン〜なんとかソワカ」と言うとパワーがもらえるとか・・・(完全アウトです)
 
当時やってしまった気がします。
 
 
 
 
 
高校入学後すぐのころに、授戒会なる儀式が隣接するお寺でありました。それも謎だらけでした。
 
読経し、何度も何度も立ったり座ったりしながら土下座もしました。
 
極めつけは、暗闇の中で列をなして読経の中、自分たちは無言ですり足でウロウロと歩きまわるのです。
 
前の生徒の背中に、両手を合掌したままピタリとつけます。離れないように、でも前の生徒のかかとを蹴らないように、近距離で歩幅の狭いすり足で素早く歩きます。
 
まるで蛇です。
とても気持ち悪いです。
 
最後には、数滴の水と紙で作った花びらをふりかけられます。
 
何だったのでしょうかこれ、ぞっとします。
 
 
 
 
ありました!
 
 
 
 
読み返したRAPTブログ一般記事に書いてくださっていました。
この数滴の水「灌頂」というものらしいです(泣)
 
 
そして赤い数珠と細いタスキ状の袈裟、弟子の系図に最後に自分の名前が書かれた紙をもらって帰りました。(すでに以前捨てました)
 
これを15歳の新入生女子たち全員が、必ず受けなければなりません。休めば別日に必ず受けます。
 
建前は、正式な仏教徒として弟子にして頂く儀式ですが、その実悪魔教信徒への入り口でした。
 
こんな事実を知っていたのなら、絶対に通いたくなかった学校です。
 
 
 
 
 
 
以下もRAPTさんが公開してくださっている、仏教が悪魔教であることを解かれた記事の一部です。
 
 
 
 
 
この記事を読ませていだだいたとき、仏教が悪魔教であるという事実に、驚き愕然としましたが、昔から感じていた違和感、嫌悪感が正常な感覚であることにホッとしました。
 
 
 
 
 
思い返せば私の高校生活は、友達には恵まれましたが、自分に自信が持てず、どこかネガティブで、毎日が重い空気の中に包まれていたように思います。
 
体も弱く小学生からあった偏頭痛もひどくなりました。
 
「本当の自分では無かった」という表現が近いでしょうか。
 
宗教の時間にいくら学んでも、やはり卒業まで仏教への違和感と嫌悪感は拭えませんでした。
 
私が母校を訪れることはもう二度と無いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皆さまが、真に正しく清い神様だけを求め、出会うことができますように。